言語: タミル語
監督・脚本: Selvaraghavan
時間: 148分
出演: Suriya, Rakul Preet Singh, Sai Pallavi
メモ
▼ 手段
自主上映 (英字幕付き)
▼ 動機
スーリヤさん
概要
NGKは主人公、Nandha Gopala Kumaran のイニシャル。
勤めていた大企業を辞め、有機栽培による農業を営む傍らで社会奉仕活動に励んでいた元エリート、クマラン (スーリヤ) は、そのカリスマ性で多くの若者を惹き付けていた。
また、父母と妻・ギータ(サイ・パラヴィ)とも円満な家庭生活を築いていた。
しかしある日、悪徳金融業者や無農薬栽培に反発する者達により、畑を燃やされ町を荒らされてしまう。
直ちにやめさせるよう、クマランは地元の議員・パンディヤン (イッラヴァラス) と取引を行う。
破壊活動をやめさせることの見返りとして、クマランは500人の若者を引き連れ、政党の傘下に入ることを議員に約束させられる。
問題は解決したものの、政党入りしたクマランに与えられたのは便所掃除という、下っ端の屈辱的な仕事だった。 しかし、仕事を完璧にこなし、愛想もよく気の利くクマランは気に入られ (全ては計算のうち) 、次第にパンディヤンを影から操るほどの存在になっていく。
政党本部の広報・メディア戦略担当として絶大な力を握る烈女、ヴァナティ (ラクール・プリート・シン) からも能力を買われる。
彼女は、クマランの助けで対抗勢力のスキャンダル暴き、見事に打撃を与える。
二人は次第に親密な関係に発展する。
メディア受けも良く、民衆の支持も得たクマランの出世劇の影で、妻や家族との溝は深くなる一方だった。
弱みを握られたことでクマランの命を狙う者まで現れるが、ある事件により、彼の人生…そして熱く燃えていた魂が闇に転がり落ちる――。
感想
民衆の生活を良くするために政界入りを果たした誠実な青年が、処世術や手練手管を覚え、伏魔殿をのし上がるうちに、手段を選ばぬ修羅と化す…というプロットには既視感を覚える1。
政界入りを決意した夫を送り出した妻 (サイ・パラーヴィ) の「例え踏み入れるのが下水であろうと、あなたなら浄化できる (意訳)」という言葉を思い出すと哀しくなる。
議員の地位を手にするために犠牲にしたものは、あまりにも大きく、恐ろしいこと…。
現地の政党運営の実情は分からないのだが、主人公が政党の下っ端から上がっていく過程で触れられる、政党の内部構造や対抗勢力との駆け引きはかなり詳しく描かれていたように思う。
これまでに積極的に見てきたギャング・抗争ものに通じるものを感じる。
スーリヤさんが演じるクマランが、真面目な熱血マンから、清濁を併せ持つ老獪な政治家に成長していく様子からも目が話せない。
トイレでの大暴れシーン、市場での戦闘シーンは最高だったし、対抗勢力、そして内部でのゲームにはスリルがあった。
本作に弱点があるとしたらエピソード同士の繋がりが弱い点だろうか…。
1つの出来事と別の出来事との関連や伏線が分かりにくく、ストーリー全体が難しく感じられた (自分だけかもしれない)。
スーリヤさんの鬼気迫る演技と顔の良さに流されそうになるが 2 、消化不良感が残るのにはこうした要因もあるのではないかと思う。
サイパラちゃんの演技は印象に残るが、特に後半部分でクマランとギータの関係の描き方が弱い点も気になっている。
また、クマランとヴァナーティの関係がダンスやその後のストーリー展開によって何となく、なし崩し的に美化されてしまう点 も気になる。
ヴァナーティの
微塵たりとも罪悪感を感じていない様子には強かさを感じた。
しかし「どんな関係であっても、続いているうちは大切に温めるしかない」という言葉に、彼女自身も、修羅の道を自らの意志で、時にはやむを得ず選んできた事 を示唆させられた。彼らは似たもの同士なのかもしれない。
クマランが政界入りを決めたときに母親が放った警告が重い…。 作品をもう一度見れば印象が変わるかも…。
(鑑賞日: 6/1)
関連ツイート
何かを得るには、失わなくても良いものまで失わなくてはいけない…
— ɯɐsıɐɯ (さむ) (@tumeric_notes) 2019年6月1日
NGKで最後にスーリヤさんが ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○ https://t.co/3nAqpSmXxk
— ɯɐsıɐɯ (さむ) (@tumeric_notes) 2019年6月1日