インド映画鑑賞記録

主に南インド映画を観てる、今まさしくブログの更新方法を必死で思い出そうとしている人のブログ

Bhakta Prahlada (1967)

言語: テルグ語
監督: Chitrapu Narayana Rao
脚本: D. V. Narasa Raju
時間: 150 分
出演: S. V. Ranga Rao, Anjali Devi, Roja Ramani

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メモ

▼ 手段
​配信(英字幕付き)
▼ 動機
- 主演がお気に入りのSVRさん
- 王子役の子役が本当にかわいい
- ​カンナダ版がとても良くて、折角なので字幕付きのテルグ版も観ておきたかった

概要

ヴィシュヌ神の化身・ヴァラーハに兄弟を成敗されたアスラの王・ヒラニヤカシプ(S・V・ランガーラーオ)は厳しい修行の末、ブラフマー神から無敵の力を授かり、その力で天界を制す。

しかし、​息子のプラフラーダ王子(ロージャー・ラマニ)は仇敵であるヴィシュヌ神を厚く信仰していた。
どんなに厳しく叱ってもヴィシュヌ信仰をやめようとしない息子に業を煮やした王は、王妃(アンジャリー・デーヴィ)の訴えも振り切り、家来に暗殺を命じてしまう。 しかし、どんな手段を講じても、ヴィシュヌの加護で必ず生還するプラフラーダを見て、王は遂に自らの手で殺害することを決意。

ヴィシュヌ神を受け入れるよう、健気に説得を続けるプラフラーダ。
「神は汎ゆる場所に居る」と訴える息子に更に激怒した王が「この柱の中にも神はいるのか?」と問い詰めたその時、柱の中からナラシンハ神(ライオンの頭を持つヴィシュヌ神の化身)が現れる。

感想

2020年の1本目。

​昨年に見たラージクマールさんちのカンナダ版も大好きだが、こちらのテルグ版も名作と名高い。結論から言うと、素晴らしいの一言に尽きる。

息子の暗殺を命じたことにより塞ぎ込んでしまうヒラニヤカシプ王が、飲み物の中に息子の笑顔を思い浮かべてしまう場面を筆頭に、随所に織り込まれるちょっとしたカットが物語を動かす力を持っていた。演出も非常に面白い。

ラニヤカシプ王は我が子を手にかけるという重大な過ちを犯しているが、1番の過ちはそのエゴの強さではなかろうか。

プラフラーダ王子には「信仰するならヴィシュヌ神ではなく、シヴァ神にしなさい」と言いつけていたが、本心は「ヴィシュヌではなく、自分をを選べ」ではないだろうか(民には王自身の像を作って祀らせていた)。

プライドを引っ込めて過ちを認めることは、誰にとっても本当に難しい…しかし、彼のようにそのチャンスを逃し続ければ、破滅(=エゴの死)が待っているのがさだめ。

なまじ「努力して無敵の力を得た」という成功体験がある分、自分の考えに異を唱える息子を素直に受け入れるわけにはいかなかったのだろう 1

「そうか、お前はそういう考えを持ってるんだな」と言えるような父親であれば、結末は違ったかもしれない…。

題名には息子であるプラフラーダの名が使われているものの、物語の中心にはこの愛すべき哀れな父親がいる。

我が子を愛したいのに思い通りに行かず、苦悩する父王を演じるSVRさんの表情に注目。
息子への落胆、焦り、怒り、そして愛情…。葛藤の中を一瞬で駆け抜ける彼の演技から目が離せない。

ヴィランとして語られることが多いと思われる強大な王に、不思議なシンパシーと親近感を覚えた。

(鑑賞日: 2020.1.1)

関連ツイート


  1. 社会的に成功した人(自分の努力だけで成功できたと思っている手合い)を親に持つ人が苦労するケースは現代にも見受けられる。様々な観点から普遍的な何かを感じさせられる作品だった。